MTコネクターが完成したとき、患者さんはその場でピーナッツを噛み砕き、スルメをかじれるようになります。ところがしばらくすると、痛みがでたり、噛めなくなってくることがあります。MTコネクターが完成したときにはスルメもピーナッツも食べられたのに、なぜ食べられなくなってしまったのかと大変心配し、「やっぱりこれでもダメだったのか」と落胆される患者さんもいます。
しかし、心配しないで下さい。
決して入れ歯が合わなくなったわけではありません。
むしろ合う入れ歯をつくるためには、そういう段階を踏まなければならないのです。それをぜひみなさんに理解していただきたいと思います。
私が入れ歯作りに着手したとき、患者さんの口の中はまだ完全な状態ではありませんでした。悪い噛み癖が残っていたり、筋肉やあごにひずみがあったはずです。できあがった入れ歯は、そのような状態で口や筋肉の動きを計測し、つくった入れ歯です。したがって患者さんの口にピッタリ合った、その時点では完成した入れ歯でした。だからスルメでもピーナッツでも自分の歯のように噛めたのです。
ところが入れ歯を使っている内に口のまわりの筋肉が徐々にほぐれていきます。あごのひずみも取れていきます。つまり口の中はよい状態に変化していくのです。しかし入れ歯は変わっていません。つくったときのままです。からだの状態は変わっているのに入れ歯は変わらないのですから、入れ歯が合わなくなってくるのは当然のことです。そこでものをたべると痛い、噛めないということが起きてきます。
この時、ほとんどの患者さんは、いままでの歯医者さんでいわれたように、慣れるまで辛抱しなければいけないと思うでしょう。しかし我慢して入れ歯を使い続けると、入れ歯と生体のギャップはさらに大きくなり入れ歯はますます合わなくなっていきます。
ですから私の入れ歯は我慢しないで下さい。痛かったり噛めなかったり違和感があるときは、すぐに調整しに来て下さい。その時の口の状態に合わせて調節すればその場で噛める入れ歯に戻ります。
入れ歯ができあがったあとの調整期間は、患者さんによって異なります。はめた直後から自分の歯のように噛めて1、2度の調整ですむ人もいれば、3ヶ月くらい調整に時間がっかる人もいます。口の中の状態が悪かった人ほど調整に時間がかかります。悪い噛み癖や筋肉の使われ方を修正するのは、そう容易なことではないのです。
ですがものが食べられないわけではないので安心してください。入れ歯を入れた時点で食事はできます。口も開けて笑えます。ただ少しずつ合わなくなってくるのでその調整が必要だということです。
大事なことなのでくり返しますが、噛めて口の周囲の筋肉や歯茎が健康になってくるから入れ歯が合わなくなってくるのです。そのギャップがなくなれば入れ歯を調整する必要もなくなります。
みなさんは入れ歯ができあがればそれで治療は終わりだと思っているかもしれませんがそうではありません。入れ歯ができあがったときから、実は入れ歯づくりが始まるのです。調整を重ねて、その人にピッタリ合う入れ歯を作っていくのです。ですから治療に終わりはなく、できあがったときがむしろ新たな治療のスタートになるのです。
私は入れ歯をつくる前に必ずこうしたことを患者さんに説明します。そして私の入れ歯づくりに対する考え方を理解していただきます。それがわかっていただけないと、いい結果が出ないからです。
入れ歯づくりは私や歯科医師だけがするものではありません。患者さん自身の気持ちや努力も大切です。患者さんに歯を治したい、治そうと思う気持ちがなければ、いつまでたっても歯は治りません。歯医者に頼っているだけではダメなのです。
ほんとうに歯のことで悩みぬき、噛める入れ歯になりたいと思っている人は、私たちの説明をよく聞いてくれます。そして理解してくれます。そういう患者さんは、どんなに難しいカースでも、不思議と治療がうまくいきます。階段をあがっていくように、右肩上がりによくなっていきます。 反対に、いくら説明しても理解しようとしなかったり、不信感を持っている患者さんの治療はあまりうまくいきません。気持ちの上で私たちと離れてしまっているからです。
インフォームドコンセントが大事なことは、入れ歯づくりでも同じです。私たちも言葉を尽くして説明しますが、こちらの治療方針に対して理解と同意がなければ、治療はうまくいきません。 入れ歯づくりは共同作業です。私たちが入れ歯をつくって噛めるようにするのではなく、患者さんも努力して、二人三脚でしっかり噛める入れ歯をつくっていくのです。
自分の口の状態がいまどうなっているのか、患者さん自身が把握していなければ治療は始められません。マイナスの状態をゼロにまで引き上げるのは、私や歯科医師だけの力では限界があります。患者さん自身が自覚して、ゼロまで引き上げる努力も必要なのです。
私が患者さんにお願いしたいのは、自分の入れ歯づくりだという自覚をもっていただきたいということです。 わからないことはなんでも聞いてください。答えられることは何でも答えます。相談にものります。そうやって気持ちを一つにして治療していくことがよい入れ歯づくりにつながると、私は思っています。
先ほど、入れ歯ができあがったあとの調整が大事だと言いました。なぜかといえば、その入れ歯を生涯使っていただきたいからです。入れ歯を調整するのは、できあがったあとだけではありません。一生調整しながら、入れ歯を使い続けていくのです。
入れ歯が合わなくなったら、また新しい入れ歯をつくればいい……。みなさんはそう簡単に考えているかもしれません。保険の入れ歯なら、安い値段でいくつでもつくれるでしょう。 しかし、別のところでもお話するように、保険ではけっして満足のいく入れ歯はできません。口に合わない入れ歯がいくつあっても、結局何の役にも立たないのです。それどころか、それこそ医療費の無駄遣いになってしまいます。
入れ歯はほんとうに口に合う入れ歯が一つあれば十分です。 その入れ歯を、調整しながら、一生使い続けてください。入れ歯は使えば使うほど口になじんできます。そしてまるで自分の歯のように何でも噛めるようになってきます。
しかし、人間のからだは、年月とともに変化していきます。それにともなって、入れ歯も合わなくなってきます。歯ぐきが衰えたり粘膜が減って口の状態が変化し、同時に、入れ歯も磨耗するからです。ですから、つくった当初はピッタリ合った入れ歯も、少しずつ合わなくなってくるのです。
合わなくなった入れ歯は、調整したり補修すれば、また使えます。その時の口の状態に合わせてあげればいいのです。そうやって調整しながら使うことで、初めて入れ歯は生きてきます。口にピッタリ合って、自分の歯と同じように噛めるようになるのです。入れ歯が合わなくなったらつくり替えるという発想では、いつまでたってもほんとうに自分の歯に合う入れ歯はできません。
大事なことは、つねにその人に一番あった状態に入れ歯を調整しておくことです。それによって入れ歯はよみがえり、命を吹き込まれます。何度も何度も、入れ歯はよみがえるのです。
ですから、入れ歯が合わなくなったら遠慮なく私のところをたずねてください。私が健康でいるかぎり、最後まで自分がつくった入れ歯の面倒を見るつもりです。入れ歯は私にとっても、自分の分身のようにいとしいものだからです。



